2004KH

 8月20日(金曜日)


 京都駅でBM君、岸本君達と別れた。

 京都駅で『ラムネ八つ橋』『ピーチ八つ橋』を買ったタケシと玉木君は、新幹線の中でさっそくニチャニチャ食っている。元祖『京都八つ橋』は僕も大好きだが、スーパーボールのような蛍光グリーン・蛍光ピンクの「あん」を包んだ奇妙な物体を口に含み、「旅っていいよね!」と、なぜか微妙に味の話題から遠ざかりながらいつまでもニチャニチャニチャニチャやっているので、およそ食欲をそそらない。そんな色をした食べ物に嬉々としている駄菓子屋少年達の姿は、これから向かう土地に対する身構え方として、あまりに無邪気過ぎはしないだろうか。

京都を出る僕ら

 その土地の言葉遣いを聞いた者は誰もが恐れおののき、たちまち狼狽し視線が定まらず、ミニチュア犬のように小刻みに震えながら「…どうもすいませんでした」と意味もなく謝罪してしまうという。

 広島弁である。

 菅原文太や元WBA世界ミドル級王者・竹原に代表される、突き上げる攻撃性を押し殺すような低音で発せらたこれらのセリフを想像してみたまえ。

「何さらしとんじゃい」
「お前ら皆殺しにしちゃるけえの」
「朝日ソーラーじゃけん」

 映画『仁義無き戦い』等において、任侠世界のムードを醸し出しているのは、言うまでもなくこの広島弁の存在に他ならない。
 ちなみに菅原文太氏は僕の中学でPTAの会長をしていて、ある時PTAの会合で学校にやって来た彼を「ブンタさんだ、ブンタさんだ!」とみんなで囃し立てていたら、「なんじゃいコラ」と凄まれた事がある。
初めて聞く広島弁を前に、東京の無邪気な駄菓子屋中学生達は「…どうもすいませんでした」と、何だかもう、謝るしかないわけである。「ブンタさんて仙台出身でしょ?」などと口走ってはならないのがこの社会での掟なのである。



 広島駅の改札で、オーガナイザー・萩原さん、デリカテッセンのスタッフ・タクミ君が待っていた。
東京で会う時と同じく「どうも!」と愛嬌あふれる挨拶をし、手際よく機材を車に運び入れてくれた。安心した我々も「こちらこそよろしく!」と浮かれてくる。なにしろQYPTHONEにとって広島ライブは初めてなのだ!
しかし彼らも生粋の広島人、会話の中でときどき地元広島弁が混ざる度に、我々は浮かれて弛みきった表情を正し、いつでも謝罪出来る体勢になる。
それが任侠道というものだ。「←なんじゃいそりゃ」

 広島FMの収録へ向かうタケシと萩原さんを見送り、故障したままのMPC4000をライブのできる状態にするためタクミ君と僕はてんてこ舞いして、観光に行く暇もなくリハーサルの時間となる。

 会場への道すがら、うなりを上げるバイクの集団が何度も通り過ぎる。
東京では既に生息例の無い絶滅危惧種「暴走族(学名・マルソウ)」である。
タクミ君も萩原さんも「ああ、広島県民として恥ずかしい…」と、柳沢慎吾の「警視庁24時」ネタの生ライブ状態に苦笑いであるが、僕やタケシは「久しぶりに見た!」とエリマキトカゲ的感動を覚えた。
『ナメ猫』、『ツッパリ』、矢沢永吉著『成り上がり』。
日本が元気に溢れていたあの80年代の感動である。
そういえば永ちゃんも広島出身だ。



 リハーサル後、『千番』で夕食をする。
スタッフ一同、今日のイベントタイトル「GROOVY SAUCE WEST」と書かれたTシャツを特攻服さながらに着込み、「ヨロシクー!」と力強く乾杯を叫ぶ姿は、『出入り』を前に兄弟盃を交わす若衆のように殺気立っている。
テーブルに並んだ、もやしチャーシュー、牛モツ煮込み、ラーメン、チャーハンなどを前にして殺気立っている、ともいえる。
泉姐さん、タケ、健、玉木の親分、広末組のお恵がご馳走に一斉に箸を突き通す。
「シャバダバに盛り上げるんで、ヨロシク!」

 会場の『COVER』、ACHORDIONのライブ、萩原さんのDJに続いてQYPTHONEの登場である。
しっとりと生楽器の音色を聴かせた後は、「オレ達QYPTHONEなんで、ヨロシク!」と怒濤の打込が鳴り響き、シャバダバにアツいライブが展開されるのだ。
「E.YAZAWA」ならぬ「シンボル泉」「マエストロ中塚」と書かれたウチワに仰がれて、オレ達と広島人の熱いハートが一体化する。
演奏に没頭すると白目を剥いてしまう玉木君も、完全に白目だけになってて、サイコーなワケよ。
そういうオレ、ISHIGAKIは、今夜もサイコーに燃えてるワケよ、ハッキリ言って。
いくよいくよ〜ベイベ〜!
オーディエンスの歓喜の中で演奏を終えても、YAZAWAの武道館公演級のアンコールが鳴りやまない。
もちろん僕らはその声援に応え、アンコールの曲トラックをロードするため僕は再び楽器の前に立つ。

あ!

 MPC4000のモニター故障がそのままである事をすっかり忘れていた。
試せど試せど思うにならない機材、アンコール曲はロードされず、こりゃダメだベイベ〜…
「最後にみんなの手拍子に合わせて『On The Palette』を演奏します!」
突然のタケシの言葉に驚くメンバーと観衆。
しかし僕らがトラック無しで演奏を始めると、仁義に篤い広島人達の手拍子が次第に大きな盛り上がりとなって会場全体を満たすではないか。
熱くほとばしった時間を名残惜しむように、オーディエンス達の温かい羽交いに包まれて終演を迎えるのである。

 時間よ 止まれ 生命のめまいの中で

…なワケよ、ハッキリ言って!



 『COVER』と『EDGE』の二会場貸切で行われた「GROOVY SAUCE WEST」。広島のスタッフ達による更にアツいDJ、黒光りの改造人間・タケシのDJ、泉姐さんの飛び入り、意味不明のお絵描き大会と、明け方まで飽くことなく盛り上がった。すっかりシャバダバになったオレ達は、スタッフと共に打ち上げを行う事にする。
「シャバダバ」。色んな時に使うことができ、これはなかなかにいい言葉だ。
打ち上げ場所としてタクミ君が、「いつも夫婦喧嘩をしてるお好み焼き屋」「ひどく腰の曲がった婆さんが両手にヘラを持ってクワガタムシのようになっているお好み焼き屋」を提案してくれてはいたが、やはり普通の広島焼き屋でモダン焼きを食う事にした。
だってこんな夜にそんな店に入ると、なんだかシャバダバな事になってしまいそうだったから。



  翌日、レストランでゆったり昼食をしていたら、新幹線の時間がかなり迫ってきてしまった。
急いで広島駅に向かい、着いた時には既に予定の列車がホームに入線している。
乗車する我々のために、萩原さんは一人で方々走り回って弁当とお土産を買って来てくれた。
中まで荷物を運んでくれたタクミ君も、ドアが閉まる直前、間一髪で飛び出す。
やはり広島人は仁義に篤いのだ。
手を振って見送る姿に、今回の京都広島ツアーで出会ったみんなとの思い出を投影する。
 機材のトラブルに奔走してくれたスタッフ、遠くからも駆けつけ声援を送ってくれたオーディエンス達、アテネ五輪や高校野球で盛り上がるさなか、このイベントも熱狂の中で送る事ができたのはひとえに彼らの漲るパワーのお陰である。ありがとう!


  京都広島修学旅行は無事に終わりました。
今、僕たちの手にあるのは、多くの人と交わした握手の感触と、さっき買ってもらったもみじ饅頭とお弁当と、残るべくして残った『ラムネ八つ橋』『ピーチ八つ橋』です。
新幹線の中でもみじ饅頭を食べたりトイレに行ったりして過ごしながら、みんなの声援があるからこそ僕たちも頑張れるのだよなあ、とちょっとロマンスグレーな思いに耽ったりしました。
このまま頑張れば、年末あたり中塚君の体重は念願の0kgに、大河原さんは粕漬けになっているかと思うと、身震いするほど楽しみでなりません。
これからも僕たちはみんなの声援を胸に、頑張り続けるつもりです。
終わり。