2004Korea

 10月29日(金)

 どうしよう。
 昨日から移動の時ずっと運転をしてくれているHappy Robot Recordsのスタッフの一人の名前が、記憶から消えているのである。

  12時にホテルのロビーで待っているとその彼が迎えに来てくれた。彼は韓国語しか喋れないので、彼と僕たちの間のコミュニケーションは身振り手振りだ。ホテルの入口から車の方を指差して僕らに乗るように伝えている。
僕ら4人は「あの人の名前何て言ったっけ?」と小声で確認するものの、「あれ?何だっけ?」と誰も分からない。集団記憶喪失にかかってしまったのである。
 脳が強いショックを受けると記憶喪失になるらしい。ということはこれは、外国に来て未知の情報がふだんより多いために脳がパニックを起こしてしまったのだろうか?それとも昨日辛い物を食べ過ぎて脳がやられちゃったのだろうか?はたまた我々の脳は元々やられちゃってるのだろうか?断言出来るのは、昨日辛い物を食べ過ぎて確かに今、僕の肛門はやられちゃってるという点だ。
 記憶喪失ではないし、肛門に至ってはゼーンゼン関係無いが、名前で呼べないのは何とももどかしく、失礼なことである。
そんな事とは知らない彼だが、物も言わずに機材をどんどん運んでくれて、僕らには常ににこやかに対応する。「カムサハムニダ…(ありがとう…)」僕らの韓国語のボキャブラリーの少なさもまたもどかしい。



 リーさんと合流しチョンジュ(全州)へ向かう。
途中サービスエリアで昼食をとって、車に揺られること3時間、チョンジュの大学に到着。
何でこんな遠くの大学まで来たかというと、ここの体育館でMBCというテレビ局の歌番組のライブ収録があるからなのだ。本番には何と3000人(!)の観客が集まると聞いている。
韓国の著名アーティストらに混じって、日本からはQYPTHONEとT-スクエア!
何でこんな組み合わせなのかよく分からないが、意外なことに数年前、T-スクエア歴代サックス奏者をフィーチャーした企画CDにQYPTHONEが参加したこともあり、元メンバーの本田雅人さんとタケシがよく一緒に仕事していたりと、全然接点が無いわけではない。
とはいえナマ伊東(たけし・Sax)、ナマ安藤(まさひろ・G)とは初めてお会いする。
ジャズメン玉木君は「よろしくお願いします!」とジャズ界の大先輩・伊東さんに丁重に挨拶。
QYPの3名も挨拶すると、伊東さんは大変気さくな方で、韓国でおこなったライブでのオーディエンスの反応など色々話してくれた。

 リハを終え、ここチョンジュが本場のビビンバを食べていざ出陣!
しかし大学のキャンパスに戻ると、あたり一面真っ暗でシーンとしている。
リーリーという虫の声やキャンパスの芝生の香り、こうこうと照らす月ばかりがやけに強調され、すごい田舎にいるように錯覚してしまう。
ほんとにここに3000人もの人が集まるのだろうか…。
楽屋の中さえも真っ暗で、その暗がりの中から伊東たけしさんが話しかけてきた。
「なんか停電みたいですよ。」
マジすか!?
それってライブを行うことすら危ぶまれる事態ではないか!
「大丈夫なのかなあ…」



 と心配した次の瞬間、パパパっと楽屋の蛍光灯がいっせいに点き、それと同時に「ドォ〜〜〜〜!!!!!」というものすごい音が楽屋の壁を震動させた。
隣の体育館からの大歓声である。
走って体育館脇の出演者入り口から覗き込むと、広い体育館をビッシリ埋め尽くした観衆の期待に満ちた顔が照明に照らし出されている。これは3000人、いやそれ以上いるかもしれない!
ホッと胸をなで下ろすとともに、緊張感がみなぎってきた。

 T-スクエアの皆さんが楽屋を出発してしばらくすると、あの曲の始まりとともに歓声がますます熱狂度を上げる。
ててれてれてれてれてれてれてれてれ、てれてれてれてれてれてれてれ
ジャジャーーーン!ジャジャーン!ジャジャーン!ジャジャッ!!
これじゃ全く分からないと思うが、もちろんご存じF-1のテーマ曲『トゥルース』である。
演奏を終え笑顔で楽屋に戻ってきたT-スクエアの皆さん。伊東さんも「いやあ、韓国のお客さんの反応はアツイよ!こう、キメでパッとアクションするでしょ、そうすると、もう、『ワ〜〜』って感じで…」割愛させて頂きまして申し訳ないが、むしろ伊東さんの方こそアツく語っていて、この大御所さえ興奮させるのだから会場のボルテージは相当上がっているに違いない。
韓国のアーティストが何組か演奏を終えると、いよいよ我々の出番が迫る。

 二人の男性司会者のやりとりの中に「トーキョー」「キップソーン」という言葉が混じる。
インカムを付けたADが僕らを舞台袖階段の前まで誘導する。
司会者の最後の「キップソーン!」という紹介とともに大拍手、舞台袖からステージへ上がる。
3000人以上の観衆だ。 泉ちゃんの「アンニョンハセヨ!」にいっそう大歓声が強まる。
楽器を構えると一瞬の沈黙。『On the Palette』のフィルインを合図に演奏スタート!
観衆の拍手がやがてリズムに合ってくる。
…と思ったら、Aメロ途中、突然僕の前にADが現れ、指で「×」を作っている。
何やらPAのトラブルがあったようだ。曲を止める。会場がざわめく(やべえなあ…)。
PAの調整が済むまでの間、泉ちゃんが英語でMCをする。
「カワイイ!」という数人の女の子達によるかけ声が聞こえる。するとそれを契機に「カワイイ!」「コンニチハ!」「オゲンキデスカ!」と日本語のかけ声が会場のあっちこっちからあがるではないか。
泉ちゃんが笑いながらそれに答えたりしているうちに、会場からも大きな笑いと拍手が起こり、3000人の観客と僕らとの心理的な距離感はぐっと縮まったようだ。

 あらためて『On the Palette』をスタート!
タケシのピアノ、僕のギター、玉木君のウッドベースが、いつものライブの何倍も大きいスピーカーを通じて巨大な会場に鳴り響く。
初めて聴くお客さんがほとんどであろうが、それを迎え入れる姿勢は伊東さんの言っていた通り素直で情熱的で、リズムのキメや泣きの旋律になると「ワァァ〜〜〜!!」とものすごい叫び声を上げて会場中が呼応するのだ。
続けて『Melody』を演奏。特に泣きの要素が多いこの曲は、韓国の人たちの情感をグッと掴むようで、歓声のレベルもピークに達する。
終わった。大・大成功!



 会場から楽屋までの道すがらたくさんのファンからサインをねだられる。
たった2曲の演奏であったが、これが韓国の映像メディアに乗ってさらにどんな反応を得られるのかを想像するとワクワクしてくる。
機材をステージから引き揚げて来てくれたリーさんと運転手の彼(ゴメン、いまだに名前が出てこない…)と握手を交わし、成功を喜んだ。本日彼らは、長距離を運転し、機材を持って走り回り、有名なビビンバの店を街の人に尋ねながら探し出し、タケシが爪切りを買いたいというので付き合い、泉ちゃんの衣装の汚れを必死で落とし、玉木君が借りたウッドベースに自分のピックアップを付けっぱなしでどこかへ返されてしまったのを探し出し、僕のややこしい機材のセッティングをPAの人とうまく検討してくれたのである。
「カムサハムニダ!」では全然気持ちを伝えきれてないのがもどかしい。

 出発待ちの車の中から泉ちゃんがドアを開けた途端、遠くから数十人の若者達が駆け寄って来た。
あっという間に車を取り囲み、ドアから中の僕たちの写真を撮りまくり、「サインシテクダサーイ!」とか握手をしたりと、すっかり外タレ気分である。
頃合いをみてリーさんが「危ないからちょっとよけてねー」と優しくグルーピーを制止し、ソウルに向けて出発した。
人気外タレと頼れる現地スタッフ、理想的なツアー像ではないか!

 頼れる現地スタッフが高速を思いっきりすっ飛ばしてくれたお陰で、午前1時になる前にソウルのホテルに戻る。
明日のイベント用にCD200枚にサインを書き上げねばならず(タケシは『JOY』もあるので400枚!)、すぐ床に就ける訳ではないのだが、人気外タレにとってはそれも心地よい苦労であり、この余韻のあるうちに4人で打ち上げをした。人気外タレになりたがり女・泉は特に心地よいらしく、「ビール足りないから今買って来るね!」と普段なら絶対しないような仕事をすすんで引き受けた。

マンガのように分かりやすい人だねアンタ。